Gilletteのケアスタッフ

Gilletteのケアスタッフ — Gillette、患者のサーガ 第03章

Gillette、患者のサーガ · 日本語版  ·  No. 03

Gilletteのケアスタッフ


(ケアを受けた者の目から)

「クリニックは患者を治す。ケアする共同体は人を支える」

I. 院内のスタッフ

技術の前に、人がいる。

経験は語ることはできても、受け渡すことはできない。

ひとつの話を百回聞くことも、研究することも、分析することも、細部までひとつ残らず覚えることさえできる。だが経験は、どこまでも個人のものだ。マニュアルを手渡すようにそれを他人に手渡すことは、誰にもできない。

知識は違う。

知識は分かち合うことも、移すことも、教えることもできる。

それなのに、いつもそうなるとは限らない。

自分の知識を私有財産のように抱え込む人がいる。伝えてしまえば職業上の値打ちや経済的な優位を失うのではないかと恐れているのだ。一方で、能力の本当の値打ちは分かち合っても減らず、むしろ増えるのだとわかっている人もいる。

技術は、更新と投資によって進化していく。

多くの人にはコストしか見えない。

本当に投資する者には、別のものが見えている。

機械やソフトウェアや道具を買うために投資するのではない。

それらを通じて人ができることを、より良くするために投資するのだ。

経済的な見返りは、たいてい結果としてついてくるものだ。

信頼、信用、そしてプロとして認められること。それがこの旅の本当の行き先である。

だから、施設というものは決して機械の台数と同じにはならない。

施設とは、そこで働く人たちのことだ。

その人たちが積んできた研鑽のこと。

耳を傾ける力のこと。

知っていることを分かち合おうとする気持ちのこと。

私たちは、出会った人たちのおかげで今の自分になる。

どんな成果にも、目に見えない署名が入っている。何かを教えてくれた人、間違いを正してくれた人、道を示してくれた人、あるいはただ自分の時間を割いてくれた人の署名が。

年を重ねた人たちは、この真実をよく知っている。

その人たちが持ついちばん貴い資質のひとつが、忍耐だ。

学位で手に入るものではない。

研修で身につくものでもない。

経験から、失敗から、待つことから、そして時をかけてくぐり抜けてきた試練から生まれる。

物言わぬ能力だ。

履歴書にはめったに載らないが、しばしば、ただの専門家と人をケアできる人間との違いを生む、そういう能力のひとつだ。

技術よりも、手順よりも、専門技能よりも前に、いつも人がいるからだ。

そして、ほかのすべてに意味を与えるのは、その人たちなのだ。

医療施設のなかを行き交う顔ぶれは、たいてい同じだ。

理学療法士。

作業療法士。

看護師。

介護職員。

事務職員。

業務としてではない。

役割としてでもない。

変わらずそこにいる、人としての存在として。

迎え入れ、耳を傾け、支え、段取りをつけ、励まし、自分の人生に戻ろうとしている人の歩みに毎日付き添うのは、この人たちだ。

この人たちを知り、言葉を交わし、その物語を聞き、こちらの物語を語れることは、やはり幸運である。

リハビリテーションは決してひとりで歩む道ではないからだ。

ひとつの目標に向かって、多くの技能がともに働いた結果なのだ。

能力は体を治す。

そこにいてくれることが、歩みを支える助けになる。

II. エピローグ

何よりもまず人。あとは待たせておけばいい。

III. 著者のページ

この作品は依頼されて書いたものではない。

売られたものでもない。

商業目的で作られたものでもない。

リハビリテーションの価値、人間の尊厳の価値、そして人と人との関係の価値を証言するために書かれた。

求める対価は、象徴としての1ドルだけ—作品への支払いとしてではなく、ケアと希望と責任の文化をともに担うという約束の証として。


フェルディナンド

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